社会に鋭いメスを入れ、世にはびこる病理を駆逐する文系ドクターことミスターMです。
科学の発達した現代社会においても、論理では説明のつかない、不思議なものが未だ多く残されています。今回はそんな不思議の幾つかを解明していきたいと思います。まず「不思議」という言葉から連想されるものを列挙してみましょう。
―世界 ふしぎ発見!―
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言わずと知れた某長寿クイズ番組です。壮大な歴史の中に隠された不思議に迫るというのが番組のコンセプトですが、何よりも私にとっては毎週登場するミステリーハンターのかわいさが中途半端なことが一番の不思議です。
レギュラー回答者を見てみましょう。迫り来る難問を不自然なほど次々と当てまくり、板東英二とのやりとりでテンションを上げ、騒ぎたてる黒柳徹子は、自身の看板番組「徹子の部屋」でのキャラとは全く別のものです。
そして珍奇な回答を連発する野々村真は、番組内でのおもしろキャラのポジションを担っています。「まずは真くんの答えから」と先に珍回答を明示したうえで、他の回答と対比してゆくパターン。そして「最後に真くんの答えを見てみましょう」とそれまでの発想を覆す変則的回答でメリハリをつけるパターンと、一つのキャラで「フリ」にも「オチ」にも対応できるオールラウンドなプレイスタイルには脱帽です。
さらに彼は回答に絵や記号を書き込むことで、言葉では表せない答えを弾き出します。正解が言語化の不可能なものであった場合、正解VTRはどうなるのでしょうか。本当の不思議の世界は各国の歴史的名所を訪ねるロケ先ではなく、実はスタジオ内にこそあるのです。
日立ち社製の私の携帯電話には、迷惑なことにこの番組のテーマが着メロとしてデフォルトの状態で備わっています。私にとって、このふしぎ発見に潜む謎はとても他人事とは思えないのです。
―摩訶不思議アドベンチャー―
アニメ『ドラゴンボール』の主題歌です。歌詞は「不思議な世界を冒険してドラゴンボールを集めんしゃい」といった内容で、アニメのストーリーに沿うものです。しかしこのアニメの続編のOP曲『CHA-LA HEAD-CHA-LA』は、我々には理解し難い謎に満ちています。
私とCARESS管理人であるはじめ氏、そして私の仕事上のパートナーの三人で行くカラオケでは、アニメソングの応酬に始まり、他人を無視した個人的趣向に走る中弛みを経て、いざゆけ若鷹軍団で締めるというのがセオリーです。ここでの私のパートナーの持ち歌こそが『CHA-LA HEAD-CHA-LA』なのですが、この曲の中には以下のような歌詞があります。
CHA-LA HEAD-CHA-LA
胸がパチパチするほど
騒ぐ元気玉
CHA-LA HEAD-CHA-LA~
この「げ・ん・き・だ・ま」の部分ですが、TVバージョンでは最後の「ま」に被りつつ次の「CHALA~」が入ります。この重複する箇所は省略されているため、事実上は「げ・ん・き・だ」となるのです。しかしオリジナルバージョンをベースとするカラオケでは、この「ま」の余地が確保されており、TVバージョンのみの知識でこの曲を歌えば、決まってここで極端に声量を落としたり、歌詞を濁すなど、自身の認識との相違に当惑するのです。もしあなたの周囲に「ま」を堂々と歌いあげる者がいたなら、私のパートナーを含め、それはドラゴンボール主題歌のオリジナルCDを持つ者=マニアと推測できます。現実世界での生活においては、このような「頭カラっぽの方が夢詰め込める」と主張する人物とは、ある程度の距離を保った交際をすることを勧めます。
そしてもう一つの大きな謎が「溶けた氷の中に恐竜がいたら玉乗り仕込みたいね」という部分です。まず「溶けた氷の中に恐竜がいたら」という仮定条件が、一体どこに起因して生まれたものなのでしょうか。そして氷の中から恐竜が蘇ったという仮定条件を踏まえたうえでの決断が「保身のために逃げる」でも「事実を社会に公表する」でもなく、「玉乗りを仕込みたいと思う」のは我々の理解の範疇を超えています。猫が国王を務めパンダや熊が人間として生きる世界に暮らし、獰猛な恐竜をも撃退できるほどの高い戦闘能力を持つZ戦士ゆえの発想でしょうか。
―不思議少女―
不思議少女とは、若年層の女性に見られる一般常識を逸した珍妙な思考をもった人物を指します。80年代のブリッコに端を発するものでしょうか。不思議=可愛いであり、周囲との感覚のズレが魅力とされています。
とくに強い個性が求められるテレビタレントの間では、若手女性芸能人の不思議キャラ化の傾向が顕著です。わかりやすい例として小倉優子を検証してみましょう。
彼女は自らを優子りんと呼称し、コリン星の姫であると主張します。では、故郷であるコリン星を離れ、彼女が地球にやって来た理由とは何なのでしょうか。
ここで、私はある仮説を提唱します。「優子りん地球侵略説」です。一般には、おとぼけキャラとして認知されている彼女ですが、少なくともコリン星という地球人の有する科学では及ばない異星からやってきた点から、地球人を遙かに上回る高度な文明を持っていると考えられます。
つまり天然ボケとされている彼女は、我々よりも高い知能を備えているのです。人知を超越する彼女の不可解な発言が我々に理解できないのも当然のことでしょう。不思議少女が、ときに宇宙系と呼ばれるのも合点がゆきます。
彼女はその優れた知能を活かし、地球人を洗脳しています。血気盛んな若い男性の中でも、特に日常の社会活動において、エネルギーを発散することが出来ず、自己の内部に日々蓄積している者(=オ○ク的なる者)を中心にその精神を崩壊させ、有り余る膨大なエネルギーを吸収しているのです。これは一部の圧倒的不思議パワーを持つ地球人をコリン星の戦力として利用すること。そして反社会的分子を増殖させることによって、全体として地球人類の弱体化を狙ってのことと推測されます。
優子りんに夢中になることは、侵略者であるコリン星人に魂を売り渡すに等しいのです。現に、彼女の奴隷となり果てた男たちは、周囲に蔑まれ、社会不適合者の烙印を押された者ばかりです。
しかし、その中でも最大の不思議は、コリン星人の恐ろしい野望の全てを解明していながら、そんな優子りんに軽く「萌え」ている彼女イナイ歴24年を誇るこの私自身です。
ここで、ようやく不思議の本質を見ることが出来ました。不思議なものとは、不可解な事象を指すのではありません。ある事象を受けて「不思議だ」と感じる主体、即ち私自身にあるのです。
ふしぎ発見のミステリーハンターが「私こそ最高のアイドル」と自負しているとしたら。
野々村真が計算のうえで、おもしろ回答を捻り出しているとしたら。影山ヒロノブが珍奇な歌詞を寸分の迷いもなく歌いあげているとしたら。友人が「げんきだま~♪」を当然だと捉えているとしたら。彼らの意識には何の不思議も存在しません。それを私の主観というフィルターを通して観ることで、初めて不思議が生まれるのです。
不思議を解明することは、自分の姿を見つめ、正しく捉えることなのです。先日、友人にこのコーナー「とある芸人の一言」を読ませると、
「何つーか、キモい」
という意見が返ってきました。やはり私が周囲に虐げられている不思議の原因は私自身にあるようです。
私は本当の私を理解するため、私の中に生まれる不思議を克服するため、この何つーかキモい連載に全力を注ぐことを改めて決意しました。そしてこのコーナーを読んだあなたが「ミスターMってヤバくない?」という感想をもったならば、あなたは私以上に私のことを正しく理解していると言えるでしょう。
最後に、このコーナーに対するはじめ氏の過度な期待による重圧と、当初の予定を上回る急ピッチでの連載から来るネタ切れによって、第三回目にしてはやくも迷走しだしたことをはじめ氏に陳謝したいと思います。