自然科学における真とは実験や理論により証明できるってもんで、A説とB説のどちらが正解かという命題にブチ当たったとしても、例えばピサの斜塔からモノを落としてみたり、電卓を叩いて計算してみたりすれば答えに辿りつけます。

ところが社会科学という分野はコレがなかなかに厄介なもので説明はできても証明が不可能なのです。A論とB論のどちらが良いかを決めるのに「Aを採用したらどうなるか試しに我が国をA主義国家にしてみよう」とやればそれは実験ではなくむしろ実践です。結果が出るまでにあまりに長い期間を要すうえに仮に失敗した場合のリスクもデカすぎます。更に理論上は大丈夫っぽく見えたとしても実際には予測不可能な要因が無数にあって完全なシミュレーションは難しく、さらに同じようにやってみたとしても地域や時代により結果がバラバラという例は幾らでもあります。

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例えば民主主義は正解であるように見えますが、古代ギリシアではシロートが政治に関与したために統制が取れず、結果として国が滅びました。あのヒトラーを生み出したのも民主主義です。過去だけでなく現在も様々な思想、価値観が混在するイラクではなかなか民主主義は根付きません。よそのお国の話は良いとして我が国日本で民主主義はどれほど機能しているでしょうか?住民の政治的意識が偏向した地域、また住民の間での思想や利害に剥離がありすぎる地域での民主政はむしろ大変に危険だったりします。

つまり高所からモノを落としたり電卓を使ったりする自然科学での答えはイツでもドコでも誰がやっても同じ結果であるのに対して、政治や経済といった社会科学での答えはやる度に違う結果が出るので真偽の証明ができないわけです。そもそも百人いれば百通りの正解があり、誰かの正解は別の誰かにとっての不正解ですから完璧な真なんてあり得ません。社会科学においてあらゆる個人への影響を考慮せず、また不確定要素を度外視して「こうすればこうなるに決まってるぜ」なんて思っちゃうのはインチキくせー擬似科学と同じなんです。

自然科学の世界での論争、例えば天動説と地動説、日本で言えば脚気の原因を求めた細菌説と栄養欠乏説、これらは当時の科学力では真を導き出せなかったものの後年の科学発展によって決着されました。対して社会科学の世界では論争は起これども決着はつきません。ソ連を含む東側陣営が悉く崩壊してもなお社会主義、共産主義の理想を捨てていない人や組織が少なからず存在しますしね。

0点か100点かの何れかしかない自然科学と違って100点満点など有り得ない社会科学ですから、完璧な社会思想なんてのは無いわけです。一点のツッコミ所もなく世界万国が大満足する方法があるぜなんて謳ってる奴がいたとしたらそりゃもうカルトですよ!カルト!

なわけでこの分野では60点とれれば上出来、70点いけば大天才です。政治家でも経営者でも良いんですが、4人が困るけど6人が救われるというような采配をこなせばリーダーとしては優秀な部類なんですよね。プロ野球とかJリーグと一緒で全試合無失点で勝率100パーセントを目指すなんてあまり現実的ではありませんから。ペナントレースでの勝率が7割もあればブッチギリで優勝できますもん。

で、問題は自然科学のようにハッキリとして統一的な正誤の判断がつかない分野において何を以て正解とされるのかってことですよ。例えばですよ。ツルペタの魅力に依って平和を築き上げんとする世界ロリコン連盟と、黒チクビを愛するかの如く地球を愛する国際熟女連合会という二つの組織が対立したとして「コチラの思想こそが真である」と認められる決め手ですね。

これは単純により広く声の届いた方が勝つんです。自分たちの考えを如何にして他の人に伝えて共感を得ることができるか、カタカナで言うとプロパガンダって言いまして、有名なアニメに出てくる白いモビルスーツにちょっと似てる名前なんですけど、ロリコン派が自らの正当性をテレビや新聞で大宣伝するのに対し、片や熟女派は黒チクビの優位性を綴った広告をビンに詰めて海へ流し誰かが拾って読んでくれるのを待つという手法で対決したとしましょう。この場合だときっとロリコン派が勝つと思うんですよ。

あとハリウッドなんかの超大作映画で思想宣伝したりして、船の先っぽで幼女とバックからハメまくるツルペタイタニックとかメガネッ娘やら魔法少女が出てくるとツルー・ペッターとかを公開するロリコン派に対して、お腰ならぬお胸につけた黒チクビをイヌ、サル、キジにくれてやって家来にしようとするもチクビは二つしかねーから無理じゃね?みたいな童話の紙芝居を手作りしつつ空き地でしっぽりロードショーする熟女派の争いだったらこりゃもうロリコン派が初回コールド並みのノリで勝つはずなんです。

そんなわけで社会科学にて真と見做される決定的な要因は如何にして証明するかではなくて如何にして説得するかにあります。実験や計算の結果は変わりようがありませんが説得の効果はやり方次第でどうにでもなるもんで、過去に正しいとされていたことが現在は否定されたり、日本では正解と思われていることが外国では誤りだったりってのも実際ありまくります。と言うよりそもそも証明ができないので正しさよりも正しいっぽさで判断するしかありません。「正解」ではなくて「正解(仮)」なのです。

つまり「コッチの方が正しいんだ!」という声のデカさに加えて「コッチの方が良いだろ?」と続く求心力があったれば即ち真となります。いくらデカく言っても心に届かなければ意味がないってことですよ。政治団体の街宣活動やカルトの布教活動と同じでただ一生懸命ハデにやるってだけでは無駄なんです。昭和の経済成長期に若者の間で共産主義が一大ブームを巻き起こしたときは「俺たちが徒党を組んで革命を起こすんだ!」と大声で宣伝し「そうすりゃ日本はユートピア社会だ!」と共感を得たおかげで学生たちはすっかり真っ赤っ赤に染まってしまいました。当時は多くの人の間でそういった学生運動が正解とされたわけですが、その後の運動のやりすぎ具合が報道されるとやっぱ不正解じゃね?とブームは収束していきます。さらに20世紀前半までの学問で優生学ってのがあったんですが、これは人間の能力が人種や民族、つまり生まれによって決まることをクソ真面目に研究する学問で「白人は有色人種より進化しているんだ!」「健常者は障害者より優れているんだ!」とデカい声で叫び「能力のある俺たちには世界を仕切る義務があるんだ!」とこれまた多くの人、特に白人や健常者に支持されます。ところが非欧米の田舎生まれでも優れた力を持つ有色人種やある分野で異常な才能を発揮する障害者の存在が認められると、優生学は人種や民族の差異を優劣の区別なく研究する文化人類学にとって代わられるようになります。

社会科学では正しいとされることは必ずしも一つではなく、様々に分裂し変化し続けるのです。だもんで新聞や本を読んで、或いは普段の生活の中で色々と思索に耽って、私たちが何らかの社会思想を獲得するに至った場合にその考え方が「いま正しいと思うか」というのも勿論ですが何よりも「10年後も変わらず正しいと言えるか」てのが大変に重要だったりします。政変によって従来の体制がひっくり返り、それまでの社会における常識が通用しなくなった場合でもブレることない思想を持っていられるかどうかです。

まぁね、この私が日頃から声高に叫んでいる童貞至上主義についてなんですけども、童貞であることを誇りとし、エロゲの無料体験版をプレイしまくることをステータスと考える神聖なる思想を時代を超えた普遍真理とも呼べる域まで昇華した偉大すぎる私ですよ。この私の究極の哲学は恐らく10年後も全く綻びることなく、人々を啓蒙しまくるに違いないんです。うわ!イケメンきんもーっ☆とか言ってるはずなんです。せくすよりおなぬーの方が良いし!とか高らかに宣言してるはずなんです。死ね!てめーらみてーなイケメンは死ね!

何でも童貞を30歳まで貫けば魔法が使えるようになるとかで、こんな私も三十路一歩手前に差し掛かりまして”やら☆みそ”という魔法使いへのクラスチェンジを控えているんですが、とりあえず今の段階で性的サービスを提供するお店の利用以外での脱ちぇりの予感は丸っきり無ぇわけです。こりゃ40まで童貞はカタいってもんでホント偉大すぎにも程があります。

え?

「童貞守れば魔法が使えるに決まってるぜ」なんて思っちゃうのはインチキくせー擬似科学と同じだったり、はたまたヤリチンどもが三十路を迎えるようになると魔法使いよりスキルの高い「セックスヒーロー」とか「モテキング」とかの上級クラスへチェンジしてたりするんじゃねぇかって?

だから死ね!てめーらみてーなイケメンは死ね!

投稿者 admin

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