常識という名のカーテンに隠された真実を暴き、世の裏側に潜む悪を斬る言論のスナイパー、ミスターMです。
この数日間、サッカー・アジア杯、アテネ五輪とスポーツの国際試合が話題になっています。私もこの動きに便乗し、今回は世界の中の日本ということで『ナショナリズム』について語りたいと思います。
多くのスポーツの試合で、観戦者は応援対象の選手(チーム)に対してある共同意識を持ちます。いわゆる「ひいき」というものです。福岡県民が福岡ダイエーホークスを応援するように、自分の出身地、あるいは母校、帰属する団体など、自分と何らかの縁がある選
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手(チーム)に共通の意識を感じ、自身をシンクロさせることで、スポーツ観戦をより一層盛り上げるものとなるのです。その意味で国際試合は、国家対国家という考えうる限り最も大きな規模の共同体同士の競合です。ここではナショナリズムを、国民が国際試合で自国を応援するように、生まれ育った国(縁のある国)として国家を愛する精神と定義します。
先日行われたサッカー・アジア杯では、開催国である中国のサポーターの抱く反日感情から、日本チームに対するブーイングや暴動が起こり、連日その様子が肝心の試合内容よりも大々的に報道されていました。
サポーターのみならず多くの中国人にとって、戦中の旧日本軍の侵略行為に対する反発は未だ根強く残っています。これは韓国についても同じく言えることでしょう。この問題は歴史上の過去に起こった出来事としてのみに止まらず、首相の靖国参拝や慰安婦・外国籍被爆者や強制労働者への賠償など現在に至ってもなお続いているものです。我々日本人は、この事態をどう考え、如何にして対処すべきなのでしょうか。
まず、反日諸国の主張する過去の日本の過ちについて大まかにお浚いしておきましょう。
現在、20世紀前半の日本のアジア諸国への進出は、非道な侵略行為であったとされています。戦前の日本は、韓国と台湾、そして中国の一部(満州)を併合し、植民地支配を広げる欧米列強と肩を並べるべく、国力の増加を目指していました。
軍国主義が台頭していた当時の国際情勢下において、他国を植民地として支配することそれ事態は決して悪ではありませんでした。事実、日本のアジア進出は、各国の利害からくる賛否はあるものの、少なくとも国際的に悪と断罪されるものではありませんでした。
着実に国力を増す日本に驚異を持ったアメリカは、国際平和の名目でワシントン条約を締結しました。この条約の目的は、軍縮と門戸解放です。さらにパリでは、侵略戦争を禁止する不戦条約が調印されました。しかしこれらは既存の植民地に関する言及はなく、今後新たな植民地支配を認めないといった内容です。つまり、欧米にせまるアジアの勢力を抑制し、アメリカが世界トップの地位を維持するための外交戦略だったのです。
門戸解放の名の元に、アメリカに中国の利権を奪われ、その後ハルノートによって日本の植民地放棄を要求されたことで、日本は国際社会の中で劣性に立たされるばかりか、反日的な国際世論のなかで、国家の存亡すらも危ぶまれたのです。
満州事変以降の日本が起こした戦争は、アメリカや中国からすれば侵略であり、日本からすれば自衛のための国策でした。戦争に絶対的な善悪はなく、そこにあるのは利害です。
言うなれば各国の国益や理想がその国にとっての正義であり、その意味では戦争は善と悪ではなく、善と善の戦いであると言えます。
日中戦争勃発から太平洋戦争終結までの日本の行為は、戦勝国アメリカ主体の東京裁判で裁かれ、ここで初めて日本が国際的に悪であったとされるようになりました。即ち日本は戦争を起こすことなく自国に不利な条件を呑み続け、弱体化することが善であったのです。
戦後、一時は自治すらも奪われた日本でしたが、サンフランシスコ講和条約での賠償と、アジア諸国への権限放棄によって主権の回復に至りました。日本はこの条約の締結と同時に過去の罪を購い、GHQの統治を脱し国際社会への参入を認められたのです。
この時点で既に戦争に絡む諸問題は解決され、もはや過去のものとなったはずの日本の戦争犯罪ですが、反日諸国による日本に対する更なる謝罪と賠償請求は今なお続いています。
これは反日をイデオロギーとする国家政策によるものです。日本を悪に仕立てることで、反日諸国は自国の善を強調します。これにより国家に対する団結心や誇りが生まれ、国民の間に強固なナショナリズムを構築するのです。これも国家を統治するための政治戦略の一つと言えるでしょう。
第二次大戦中に旧日本軍が南京の民間人30万人を殺したという南京大虐殺ですが、当時南京の人口は20万人だったと言います。さらに戦争で非戦闘員を殺すことは当時から国際法違反でしたが、中国は女や子供も武器を持つゲリラ戦法を用い、民間人と兵士の区別が無かったため、この規則自体が効果を持ちませんでした。従軍慰安婦は当時の日本軍が強制したものではなく、私的な組織が運営していました。従ってこの問題で日本国に賠償を請求することは不可能です。現在になって新たに発見された旧日本軍の兵器によって中国で死傷者が出ていますが、戦争終結と同時に兵器の所有権は全てGHQに移ったため、日本が自ら人道的な責任を感じることはあっても、賠償はアメリカに請求するのが道理です。
首相の靖国参拝の廃止や日本の歴史教科書の修正を外国が要求することは内政干渉にあたります。これらの決定権は統治国である日本にのみあるのです。
日本絶対悪史観に染まりきった反日諸国にとって、戦後の日本がODAによってアジアの発展に尽力してきたこと、日本企業の海外進出でアジア経済の活性化に重要な役割を果たしたこと等の功績は完全に無視されています。自国のナショナリズムを揺るがせる結果に
繋がるため、日本を肯定することはタブーとされているのです。事実、中国ではファッションショーで日章旗を象った衣装を纏った女優が弾劾され、韓国では朝鮮併合時代に日本が巨額を投じて朝鮮の近代化を推し進めたことを評価した韓国人著作者の本が発禁になる事件が起こっています。
歴史とは過去に起こった出来事を指します。特定のイデオロギーによる解釈や、プロパガンダの道具として利用するための教育は、もはや歴史と言うより伝説や昔話に近いものです。
私は日本の侵略で不利益を被った中国や朝鮮が日本に対してその責任を追求する一方で、アメリカ軍の原爆や空襲を受けて多くの犠牲者を出したはずの日本が、アメリカに対して一切の反論をしないことを子供の頃から疑問に思っていました。
爆撃により一度に数十万人に及ぶ民間人の犠牲者を出すという明らかな国際法違反の罪を犯したことに関して、アメリカは何ら触れることなく、敵対国の国益を悪に仕立て虚偽の罪を被せるというアメリカの論理は、ベトナム戦争やイラク戦争にも共通するものです。
そもそも現在とは状況も思想も価値観も異なった過去の世界の出来事を、60年後の人間が自分達の価値基準で無理矢理に測ること自体がナンセンスです。しかし現在の日本は、これまでの反日諸国の理不尽な主張を認めてしまっています。
私は、本当の日本の過ちは戦前ではなく、むしろ戦後にあると考えます。当時の国際情勢における日本の立場を説明し、そして戦争という行為に踏み切った経緯を明らかにし、その上で日本が起こしたとされる事件の真偽を検証することを怠った罪です。各国がそれぞれの正義を振りかざすなかで、日本だけが自己の正当性を主張することはありませんでした。つまり日本は武力による戦争に敗れただけでなく、その後のイデオロギーによる戦争にも敗れているのです。
現在の日本を取り巻くこのような状況を打破するために、そして真実を正しく捉え、自国の正義を取り戻すために、日本は一体どのような手段をとるべきでしょうか。
私は、『とある芸人の一言』第一回で、笑いに精通するリーダーが必要であると述べました。笑いのテクニックを外交戦略に活かし、激動の国際社会の荒波に呑まれんとする日本のこの危機的局面を打破するのです。そしてここで求められる外交に取り入れるべき具体的な笑いの手段とは……
『ノリツッコミ』です。
言わずもがなツッコミは、ボケの間違いを否定あるいは修正するものです。そしてノリツッコミとはその中でも、ボケの間違いを一旦は肯定し、しばらく話を合わせた後で急遽その意見を逆転させるという高等レベルのツッコミです。
これをさらにわかりやすく説明するために、簡単な漫才の脚本を例にして、以下に挙げてみましょう。
反日諸国「おまえ悪い奴やな~」
日本「いや~マジごめん」
反「ちゃんと反省しろよ」
日「すみませんでしたぁ~」
反「もっと心から謝れ!」
日「ほんとぉ~に申し訳ない……ッてなんでやねん!!!!」
反日諸国の偏った立場からの言い分の全てを認めるという日本のこれまでの態度は、一発のノリツッコミのために設けられた戦後60年にも及ぶ壮大なフリだったと言えます。そして我々の成すべきは、この偉大な財産を残した先人たちの期待に応えるに相応しい、完璧なノリツッコミを国際社会に返すことなのです。
現在、ナショナリズムに関する様々な論議が成されていますが、その中で、愛国主義が軍国主義、帝国主義につながる危険な思想だとする論調も見受けられます。しかし現在の自分や隣人を培ってきた環境、伝統を愛することは自然かつ健全であり、愛国主義と
国粋主義は必ずしも同一のものではありません。
21世紀は、過去の悲劇を未来の喜劇に変え、新しい時代を迎える転換期です。歴史を特定の立場からの善悪の基準で解釈する時代から、ウケているかスベッてるか、或いはボケかツッコミかの判断から認識する時代へと移るための鍵は、我々日本人が握っているのです。