お久しぶりです。皆さんお元気ですか?ずっと日記を更新したいのは山々だったのですが、何と言ってもモテモテの私は合コンで忙しくてですね。まぁ更新遅延の理由を、ウソついて学校をサボるときの小学生の言い訳風に言うと、急にお爺ちゃんが死んだりとか色々と大変だったんです。いやいや、心配はご無用です。おかげさまで何とか祖父も生き返り、事無きを得たので。え?合コン?何言ってんすか!違いますよ!

そんな感じで私が長い眠りについている間に世間では大きな動きがあったようで、聞くところによると私が愛して止まない福岡ソフトバンクホークスの…いや、日本球界の正捕手である我らが城島健司がメジャーのシアトルマリナーズに移籍してしまっとか。この衝撃ハプニングに福岡の地元メディアはもうてんやわんやの大騒ぎ!季節外れの夏祭り!ギザギザハートの子守歌!的な賑わいを見せているわけで、私も今後の展開が気になりまくっています。

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捕手はアメリカで成功するのか?アメリカに渡ってよかったのか?

「捕手」ならぬ「保守」を自認する私にとっても城島の動向は他人事じゃないんですね。

というのも、9.11の同時多発テロ以降、国内の保守主義者の間で反米派と親米派の分裂がより明確になり、「覇権主義国家アメリカに従属するのは国益に繋がらない」なんて言う反米派と「自由と民主主義を守り、かつ反日アジア三国の脅威に対抗するにはアメリカの協力が不可欠だ」とか言う親米派は互いに罵倒しあう間柄になった次第でありまして、要はアメリカ的価値観を受け入れるか否かが争点なんですね。

私が9/28の日記にて頬を桜色に染めつつ赤裸々に自分の胸の内を告白したように、世界全体をある一つの思想(何でもいいのですが民主主義、自由主義、平和主義とかそういうの)で束ねるのは危険だと思ってるんです。混ぜるな!危険!です。人間の思想や価値観などを含めた精神を形成するのは環境であり、その環境とは土地柄と時代背景により形成されるもんですから。えぇ。

だもんで、この環境の違いを無視して強大な公権力を以てムリヤリ一つに纏めようとする輩、例えば共産主義信奉者なんかには「クソ喰らえ!」と、まぁ丁寧に礼儀正しく言うと「どうぞ大便をお召し上がりください」と、そんな感じでマルクス信者の方々には、トイレから産地直送のとれたて新鮮素材による隠し味をブリブリと効かせたオリジナルの特性カレーを振る舞いたい気持ちでいっぱいなのです。

いや、とりあえず共産主義の話はいいとして、問題はアメリカですよ。世界のトップに君臨して半世紀以上、自国の価値観でヨソのお国を引っ掻き回し続けているアメリカ様ですよ。グローバルスタンダードとか言うヤツは実質アメリカンスタンダードとも言えるくらいですから、もし世界の中心で愛を叫ぼうとするなら行くべきところはアメリカですよ。何たって英語は世界の共通語ですし、国連より強くて偉いですし、AVのモザイクは無いわけですから。もう私なんて日に三度ほどホワイトハウスに向かって礼拝してます。何といっても20世紀以降の戦争は大抵アメリカが絡んでるっつうか、裏で糸をひく黒幕だったりしますからね。ジャイアンのような強さ!ガンダムのような凄さ!合体させてジャイアムとかカッコ良い仇名をつけてやりたい勢いです。

これまでアメリカに楯突いた国は「悪」の汚名を着せられ、正義のヒーローアメリカ人に悉く成敗されています。現在のイラクやイスラムテロ組織はアメリカ流民主主義に賛同しない「悪」として、かつてのソ連やその他社会主義国家はアメリカ流自由主義に賛同しない「悪」として、そして第二次大戦時のドイツや日本はアメリカ流平和主義に賛同しない「悪」として。

過去の日記でも述べたように、私は覇権主義国家アメリカの歴史観を受け入れることは出来ません。アメリカの振りかざす正義とはアメリカの国益と一致するものであり、道義的観点ではなく政治的観点から見た「良いこと」であるからです。では私は反米なのかというとそうではなかったりします。反米派はこうしたアメリカの暴挙を批判し、対して親米派はアメリカ的正義が一人よがりな自己中心的思想からくるものであることを認めつつも、国益のためにアメリカに従うべきというスタンスをとっています。確かに親米派の言うとおり日本はアメリカ無しではやっていけません。政治、経済、文化など多方面でアメリカの恩恵を受けている日本がアメリカと対立するとなると、日本の大きな後ろ盾であった日米同盟は破棄され、アメリカ主導の国際社会から孤立することになります。そんなことになればコーラも飲めなくなりますし、ジーパンも履けなくなります。

アメリカの政策は確かに道義から外れています。しかし私は政治を道徳で語ることが問題だと思うわけです。
道義的観点から見て「道徳的であること」は良いことです。
こりゃ当たり前のことですね。しかし
政治的観点から見て「道徳的であること」は必ずしも良いことではありません。
例えば日本がこれまで行ってきた人道的政策を見ればわかると思うんですが、貧困を極める北朝鮮への援助などは金政権の延命にしかならず、結果的に当地の国民の苦しみを長期的なものにしてきました。中国へのODAにしても相手から感謝も評価もされることなく、むしろ反日政策と民族浄化を推し進める国への支援は、間接的にそれら非人道的政策に荷担してることになるわけです。他にも在日コリアンへの諸税の免除や特権付与などは一面では逆差別を招く恐れもあるほどの勢いありまくりの人道的措置だと思うんですが、在日の被差別感情の相殺はおろか「差別は悪!在日の扱いは差別!在日を救うべき!」という根拠薄弱な道義の前ではまるで無視されてます。まぁ在日コリアンについても色々言いたいこともありますが、脱線しそうなのでまた別の機会に。

道徳の目指すものは「愛」や「情」であるのに対して、政治の目指すものは「国益」です。民主主義政治では国民の「情」による世論が政治に影響するため、この2つをついつい混同してしまいがちですが、実はその本質は全く別なのです。「ミスターMの日記の長さは何メートルか?」とか「ミスターMのキモさは金額になおすと幾らか?」みたいに尺度が違うんですね。
ここで話題を変えて、私の屈辱の記憶と言えば先日の合コンですよ。私は一切酒なんて飲まないくせに居酒屋なんかに行って、最初の注文でイキナリ鮭茶漬けをオーダーするような母性本能くすぐりまくりのカワイさ炸裂な感じで乙女たちのハートを根こそぎ奪っていたわけです。さらに全体へ話題を提供する「フリ」。発展した話題を敢えて予想外の方向に結論付ける「オチ」。誰かの発言を受けてフリやオチに展開させる「フォロー」と、色んな技を駆使して場を盛り上げることに徹し、神の如きミスターMとしてレディたちの恋心に火をつけていたのです。何つっても「団子三兄弟」というネタだけで2時間半つなぎましたからね。今になってよく考えると団子三兄弟の歌を2時間半かけて30曲以上延々と歌い続けるに等しい愚行です。勿論その2時間半は要点だけまとめると2.5秒で話し終わるような激薄の内容だったんですが。いや~空白の時間ですね。時の流れを司るという点で私は神なんじゃないかと思うことしきりです。

さて、そのときの合コン相手ですが、流行に敏感な現代の若者っぽく言えば激マブなカワイコちゃんという感じの女性が1人いたんです。名前は別賓出須代(べっぴん・ですよ)と言うんですが、動物で例えると子猫ちゃんそのものです。そしてそんな彼女の隣には武佐郁子(ぶさ・いくこ)という女性がおりまして、彼女は例えるならば昆虫みたいな素敵な女性なんですね。主に腐った土や動物の死骸などを食べていそうなミステリアスな魅力の持ち主です。不思議なことに私以外の男どもは出須代さんにばかり話を振っていて、昆虫には目もくれませんでした。虫だけに無視しているんですかね。私は全体のバランスを考え、均等に盛り上がるように尽力していましたから必然的に昆虫への接触にウェイトが置かれます。合コンに来たはずがいつの間にか昆虫の観察です。そんな中、機会は少ないながらも出須代さんの方から私に話し掛けようとする場面が何度かありまして、そのとき私の友達であったはずの男が「あの2人はアツいみたいだから、そっとしといてやろうよ」なんて絶交モノの余計なことをホザきだしやがりました。

いやいや、私の相手は昆虫ですから「2人」ではなく「1人と一匹」です。そして出須代さんとメールアドレスを交換している友達の横で、私は昆虫とムシキングのカードを交換です。

このように、場の空気を考えて昆虫ですら平等に扱う私の思いやりは道義的ですが、この場合、道義的であることは良い結果をもたらしません。日常にはどうしても結果を出さなければならない場合もあり、オトナたるもの時として冷徹にならねばならないのです。私にとって恋のチャンスは虫を踏み潰してでもゲットしなければならず、カッコつけた道徳よりも上位の価値だったということですよ。

てなわけで、道徳と政治も根が違います。親米か反米かは政治的利益、つまり国益の点から語るべきですがこの両者は一長一短です。アメリカと結託し続けるには日米の利害が一致しなければなりません。冷戦下の資本主義・社会主義の対立ではアメリカとの結びつきが資本主義体制の日本として国益に繋がりましたが、現在の対テロや対イスラムというアメリカの状況を見ればあまりアメリカに荷担しても日本の国益とは関係ないように思います。かと言って国交断絶なんかすれば亡国はカタいですし、屈強なアメリカ人とケンカして勝てるハズもありません。

つぅわけで我々日本人のとるべきスタンスは「親米」か「反米」ではなく「離米」ではないでしょうか。

とにかく自立です。日本は軍事力を持たない素敵な国だと思ってる幸せな人がいますが、実際は日本は米軍の保護の下にあり、アメリカの軍事力に守られています。自前の軍隊を持たないだけで間接的に軍事力を有し核を保有しているとも言えるわけです。その代償として日本領土内の沖縄に何故かアメリカの基地があり、米軍が日本領土内で事故ったりしても日本は一切介入できずにアメリカがその処理を仕切ってしまうわけです。もぉこの国は日本なのかアメリカなのかわかりません。日本からすればアメリカは外国ですから現在も後世も利害が完全に一致し続けるはずはなく、自立して国益をまもるために憲法も軍隊も郵便制度も自前にする必要があります。これが私の提唱する離米です。
例えるなら今の日本は、アメ夫パパとリカ子ママを保護者とする小学生のジャパ太郎くんです。ジャパ太郎くんの将来の夢は八百屋さんになることですが、パパママは肉屋さんになってほしいという希望を持っており、親子の間で目指すべきところは一致しません。「ボクは立派な八百屋になるんだい」とケンカして家を出ても、パパママの保護がなければジャパ太郎くんは生きていけません。家もなければメシもないんですから。かと言って「アメ夫パパとリカ子ママの言う通りに肉屋さんになります」では何とも情けない。ではジャパ太郎くんはどうすべきかと言うと、こりゃ大人になるしかないんですね。独立して自分で将来を決めるのは当たり前と言えば当たり前です。大人になって自分で家を建て、自分でメシ食えるようになってもタマには連絡したり盆や正月にはアメ夫パパとリカ子ママの住む実家に帰省したりは当然します。このようにアメリカに対してすり寄るのでも対立するのでもなく、独立すべきなのです。

いやはや、ド長文で偉そうに言いましたが、内容は激薄で当たり前のコトですね。以上が大東亜戦争でのアメリカの蛮行に文句言いながらマクドナルドでポテトを食って、その指先をジーパンで拭ってたりする私のメッセージです。政治を道徳で考えてはいけません。道徳を政治で考えてもいけません。日本は離米しなければなりません。そして私が書くメッセージ性の強い日記は論理が強引であり、オモシロ度も著しく低下することは決して言ってはなりません。

最後まで読んでいただいて本当に有難うございます。読むのが大変だったでしょうが、書くほうも大変ですよバカヤロウ。

投稿者 mrm

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