学生時代、思い起こせば私がまだ夢見るティーンエイジャーだった頃です。あの頃の私は青春の真っ只中でハイティーンブギな毎日を送っていました。大学に入って酒も呑めないくせにコンパに明け暮れ、勉学そっちのけでバイトに勤しみ、高校時代からハマっていたパンク・ロックに加えて読書にのめり込んではサブカルを気取り、挙げ句は盗んだバイクで走り出し、壊れそうなモノばかり集めてしまうようなそんな青臭さ丸出しの十代だったわけです。
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ナンバーワンよりオンリーワン、アングラこそ我が生きる道みたいな痛い子だった私は、とにかく「ベタ」なものが嫌いで流行りの音楽や商業的ファッション等のメインカルチャーにNOを突きつけることでアイデンティティを保とうとする典型的と言えば典型的なナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけるヤングでした。狂おしいほど反体制で反権力、尊敬する人物は革命家チェ・ゲバラていう世が世なら学生運動に参加してそうな左翼予備軍でした。実際ワケもわからずマルクス全集とか読んでましたしね。
しかしちょうど大学に入ったばかりの頃に私の嗜好や思想は大きくターンしてしまいます。アジアの玄関口とも呼べる福岡の学校だったためか教員にはジャッキー・チェンの故郷と同じ社会主義国家出身の方々が名を連ね…るのは良いのですが、共○党シンパだったら日本の風土やシステムにあわない政治的発言を「アイヤー」とか切り出しそうでそんなことになれば大変ですし、キリスト教系の学校だったためか万人の平等と弱者を救うことこそが正義みたいな空気が私の周囲には充満してたんですね。今思えばまさに強きを滅ぼさんとするっつう意味で共産主義革命の拠点と化してる気もしないでもないのですが、かくいう私も当時はカッコ付けて朝○新聞の社会面を読んで頷いてましたもん。国家vs個人の戦いは大抵個人に正義があり、金持ちvs貧乏人の場合は大体貧乏人が善であり、健常者vs障害者だったらおよそ障害者が正しいなんてサヨク的思想に埋もれかけていた私は学校に行けば行くほど、新聞を読めば読むほど偏向教育や偏向報道に踊らされてバカになっていった次第です。学校や新聞にみるマス思想が世界の全て、普遍の真理でありその他のイデオロ
ギーに目を向けないどころか存在すら知らないという、疑うこと(つまり自分で考えること)をしない純粋なバカですね。「権力は悪!弱い俺たち同士で団結して悪を倒せ!」なんて言うと金も力も頭もないヤングには魅力的に感じられますが、ひとつ間違えば自分たちの理想のために国家転覆を謀る悪の秘密結社っぽい人にもなりかねません。
ていうか今思い出しましたけど、キリスト教学っつう大学の講義で「ざわわ~」のさとうきび畑の歌でお馴染みの新垣勉さんのビデオを観せられまして、まぁそのビデオ自体は「努力は実る」ていう感じの内容だったんですけど、その所々に教諭のちょっとした説明を挟むとアラ不思議!マァ愉快!キリスト教(新垣勉さんはキリスト教徒らしいです)の素晴らしさと反戦平和の尊さを訴えるプロパガンダ講義になってしまうわけです。こんな学校で自由主義史観とか保守思想だとかをふんだんに盛り込んだレポートを書いて誉められるわけがない。だって自己実現こそ至上の価値であり国家のために何かするなんてナンセンス。経済の発展と文化の向上のために近隣諸国とは手を結ばねばならず、それを阻む日本の誇りだとか愛国心だとかはウンコ的価値ですから。伝統も精神文化もへったくれもありません。
で、私がどう変わったかというと気付いてしまったんですね。現在の日本に生きる我々にとって実は「反権力」こそが権力であり、「反体制」こそが体制であるということに。
恐らくマジメな人とか優しい人、情熱のある人は反体制(つまり体制側、権力に抗おうとする方)になるんでしょう。私は不真面目でイジワルでガッツがなくてよかった。それまで私にとっての反体制の象徴だったパンクや左翼思想がふんだんに盛り込まれたカッコツケ本などが急にカッコ悪く思えて夜の校舎の窓ガラスを壊してまわるほどの勢いでそれらを打ち壊し、この支配からの卒業をしてしまいました。
何だか前フリが尋常でないくらい長くなりましたけど、まぁそんな血沸き肉踊るような、ついでに恋に胸焦がすようなキャンパスライフを満喫していた頃に、私は1人の秀才クンに出会うわけです。この秀才クンなんですがもう物凄い風貌なんですね。オシャレ指数0%の分厚いメガネにドコで買ったか知らねど昭和の遺物みたいなファッションで、休憩時間ともなると大抵1人でベンチに座って面白くなさそうな参考書や文庫本を広げているような生粋のオタクマン、そして本格派のマニアマンです。いつもパンパンで怪しい膨らみを見せる彼のリュックには危険物でも入っているのか!?いや、そんなことより彼自身が危険物なのだ!!という感じで遥か遠方の秋葉原からわざわざ福岡の大学に通っているんじゃないかと思わざるを得ないような、他の追随を許さないほどの気持ち悪さを晒け出している究極の生命体です。
そんな秀才クンですが学内テストとなると何とも頼もしい存在になるもので、テスト期間においては彼もちょっとした人気者になってしまいます。前期試験と後期試験の年に二度ほど死の大地と化した彼の心の暗黒世界に太陽が照りつけるわけです。私なんて学校ではプリントやテキストの人物肖像を如何にオモシロく改造するかに全神経を集中させていた頭のおかしい人だったので、どうやっても自力でテストを乗り越えるのは不可能です。ですからあまり親しいわけでもなかったのですが何としても秀才クンと接触し、彼の自慢のメガネに涙と鼻水を付けんばかりの勢いで泣き付くしか道はありません。
油断しきって帰路につくヤツを校門で待機して迎え撃つ!標的の目印はメガネ!というと戦いに挑むゲリラ兵士っぽくてカッコ良いのですが、要は憧れの先輩にラブレターを渡す女子高生風の作戦で胸をときめかせながら待ち伏せていました。すると何も知らない秀才クンが本を数冊片手に抱えながら現れ、いやいやオマエは本を手持ちで通学してるというコトはそのリュックの重みは一体何なんだとツッコみたくなる気持ちを抑えながら「よぉ」なんて言って近付きます。後に社会の頂点に君臨するであろう秀才クンと後にミスターMとかセンスねぇ名前を名乗って下らない日記を社会の底辺から書き綴るバカがタッグを組んだ瞬間です。
普段あまり接点がないとはいえ、テストに向けての資料とアドバイスだけもらってハイサヨナラではあんまりにもあんまりですから、とりあえずベンチにでも座って世間話でもしつつさり気なくテストっぽい話題に持っていこうなどと完全に独りよがりな礼儀を尽くさんとしていた私がまず最初に口にしたのは「そのリュックに何が入っとると?」というむしろ失礼千万な話題からでした。いきなり声かけてカバンの中身を教えろとはワイドショーのレポーターくらいの突撃っぷりです。私の蛮行にも究極生物である彼はイヤな顔ひとつせず、リュックをおろし近くのベンチに腰掛けると私にとってはパンドラの箱とも言えるそのリュックから彼が何かをゴソゴソと取り出してみせてくれました。気になる中身は漫画本だったんですけど小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』て知ってますか?平たく言えば作者が社会の不条理を指摘する政治漫画と言いますか思想漫画と言いますかギャグ漫画なんですけど、そのゴーマニズム宣言シリーズがゴロゴロ入っていたのです。
そんなもの読んだことなかった私でしたが彼からその中の一冊を手渡されパラパラと捲っていると、いつもはサイレンサーのごとく物静かな秀才クンが突如としてヒートアップして参りまして「この○○問題っていうのは結局は……」みたいな解説&持論を聞いてもないのに怒涛の勢いで繰り出してくるんです。私の真横で目を輝かせながらというよりメガネから猛烈な閃光を放ちながらの熱弁ですからコッチは眩しいやらうるさいやらで漫画なんて読めたものではありません。何かよくわかりませんがとりあえず何かコメントしとかねばと思った私は「まぁ反体制って実質的には体制側やけんね~」なんてしょーもないコトを申しますと彼が予想以上に食い付いてきまして「そうそう(メガネがキラリ)!共産主義なんてのは(キラリ)権力を否定する(キラリ)かに見えて(キラリ)結局は(キラリ)独裁者を(キラリ)うむシステムでしか(キラリ)ないったいね(キラリ)!!」と、繰り出される唾と眼光で目口を開けることの出来ない私は反撃の糸口さえ掴めず彼の猛攻にされるがままです。
いやいや、ちょっと世間話どころか完全に長期戦の様相を呈してきたんじゃね?などと思っていたんですがやはり彼のマシンガントークは止まらず完全に日が落ち、それぞれジュースを二本ずつ空けるほど長らくもつれ込みました。しかもジュースは何故か全部私のカネですし。もうね、正直ウンザリですよ。どのくらいウンザリかと言うと「このミスターMとかいう馬鹿の日記は要点絞ってなくてムダに長げぇな~」と思っているアナタの気持ちくらいのウンザリです。私は彼と違って勤勉ではなく、志とか思想などと言えるほど確固たるものを持っていませんでした。それは今だってそうですけど。ともかく全く別の世界の人間だと思って距離を起き、自戒を込めてもっと率直に言えば「オタク」「マニア」と手前勝手なモノサシではかることで実は密かに差別視していた秀才クンでした。私も破れたジーパンに汚い革ジャンという北斗神拳の継承者みたいな格好だったので他人をドーコー言えませんが、それでも私と彼は似たようなことを考えていた同志だったんですね。まぁ考える方向は同じでも中身のレベルは歴然でしょうね。そういうわけで「コイツもこんなコト考えてるのか」
とか「こんなに喋るコトもあるのか」はたまた「小難しい本ばっか読んでそうでも漫画なんて読むのか」などと遠い世界の住人だったはずの秀才クンに妙に親近感を覚えたのです。アイツもアイツで「キミはなかなかスジが良い。話のわかる人だ」なんて完全に私を見下ろしながらも言ってましたからね。キモヲタのくせにね。
いよいよ夜も更け、お互いに新たな発見をした私たちはそれぞれ逆方向の家路に就くことにしました。私は私鉄に乗って自宅のある郊外へ、そして彼はたぶん飛行機か何かに乗って自宅のある秋葉原へ。彼との語らいの後、帰りの電車内では色々なことを考えさせられそして私はある大切なことに気付きました。そうです。
テストについて一切触れてなかったのです。
いやね、私は自分でバカだバカだと言ってましたけど、流石にこりゃモノホンのリアルバカです。そんな私が独学でテストに挑んで無傷でいられるワケがない。
結果として試験の最中にケンシロウから秘孔を突かれた人みたいに「た…たわばばば……ブシュー」てなったんですけど、それも今となっては思い出です。
あれから数年が経ち、彼が今何をしているかはわかりませんが今でもたまに彼のことを思い出します。最近のニュースやちょっとした日常生活の場面などで彼ならどう考えるのだろう?あの頃と比べると私は多少マトモになったと思うが彼は今の私をどう評価するのだろう?私もちょっとだけ彼のお気に入りのゴーマニズム宣言に目を通してみたけれど私の感想と彼のそれではどう違うのだろう?
などと色々思いを巡らせ、今後もし彼に偶然再会することが出来たならその時はジュース二本くらい余裕でオゴッてやって当時の非礼を詫び、今度こそキチンと礼を尽くしてこう切り出そうと思います。
「おぅ久しぶり!ところで去年話題になった電車男って、実はオマエやろ?」